選択

人生って一言で言うと「選択」で始まり「選択」で終わると言っても良いでしょう。

私は陶芸家なので陶芸で例をあげてみると・・・

まず粘土がある、その粘土を丸にしようか三角にしようか?と選択せねばならない。

仮に三角形を選択した後は、どんなデザインにしようか?どんな色にしようか?大きさは?

・・・と選択につぐ選択であります。

昨今、芸能人の自殺報道が多いのだけど、どうして自殺なんかするんだろう?

・・・と考えた場合、私の勝手な意見は「選択する事からの逃避」であります。

あくまで私の勝手な意見なので反論は無しでお願いしたい。

まず死ぬか生きるかを選択し、生きる事を選んだ場合次の瞬間から選択し続けなければならなくなる。

人間関係を保つための選択、金銭を得るための選択、自己実現のための選択、将来のための選択。

もっと小さい事から言うと、歯ブラシの色、服装、髪型、朝食のメニュー、お茶の種類・・・

ましてや有名人になると、今後の自己プロデュースの選択肢はかなりの心労なのかも?しれない。

もし「死」を選択した場合、それ以降の選択の手間からは全て解放される。

もう何も迷う事はないし何も考えなくて良い。考え方によると究極の「楽」であり究極の「怠惰」でもあります。楽になりたかったのだろうけど・・・・

でも「我思う故に我あり」だから、もう死んでしまった時点で「楽」と感じることもないし「安心」を得られる訳でもない。恐怖や心配は無いけど楽も自由も楽しみも無い。

それは自殺する人はそこの部分は考えられないのかも。きっと。

選択し生き続けるっていうのは正直シンドイんだけど、神さまの立ち位置から俯瞰的に我々の選択の様子を見てみると・・・

「ああ、人間にも色々あって、選択を楽しんでいる人もいれば苦しんでる人もいるんだな〜」

の一言で終わっちゃうのよ。

だから仮に選択の権利がない場合、不思議な事に人間って逆に楽な場合もあるんだよね。

学校の制服とか良い例で、毎日の服選びの選択からは解放されてる。

・・・とここまで書いていて、何が言いたいのかよくわかんなくなってきたけど。

とにかく朝起きて夜に寝る時まで選択の連続だって言うことを言いたかっただけなんだけどね。

今後の私はこの選択を大いに?楽しんでいこうと思っています。

さて、次回のYouTube動画を早速編集作業中です。

まさしく選択につぐ選択の作業です。かなりシンドイけどそれを楽しんでいくようにしたいですね。

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