どうして世の中、こんなに殺伐となってしまったんだろう?
連日、気分の悪くなるニュースばかり。
乱暴な運転や自由の名を語る似非アート、まともに話の通じない某国等など。
・・・とは言え・・・
いや・・・よくよく考えてみるとそれは現代(今)の事だけではなく、人類史上ずっと殺伐としていたのかも知れないな。
でも、現代は洪水のように流れ込んで来る多量の情報。
情報化社会の長所であり短所であります。
いっそのこと、スマホの電源を切り山奥で自給自足の生活をしていればそれほど「殺伐感」は感じなくてすむかも知れないけど、殺伐感は感じなくてもそれと引き換えに「孤独感」を感じてしまったりね。
そこで「私は何のために生きているのだろう?」などと思ってはいけない。
人間は何かをするために生まれては来ていないのだからね。
変な言い方をすると「生きてしまっている」と考えた方が正解に近いかも。
だけど人間はそこに「意味付け」をしたがる。
すでに生きているのに、何で俺は生きているんだろう?何で生まれて来たんだろう?という禅問答もびっくりの「問い」が人々を苦しめ、時に自殺者まで出してしまう。
仮に世の中に自分一人しかいなければ、生きる意味の問いかけは生まれてこない。
全て、他人との比較。
大量の情報がもたらす他人との比較が人を苦しめる理由のベスト1だと言っても過言ではないだろう。
そういう意味では知らぬが仏って言う言葉は的を得ている。
殺伐とした大量の情報が大衆を動かし、ポピュリズムのベクトルがある方向に向かい一斉に流れて行く。他人の流れに知らないうちに入っている。
その時、ふとそういう流れに疲れを感じ、何もかもが嫌になり億劫に思えてくる時が一番ヤバイかな?
特に暑いとね!
深刻ぶらずに気楽に生きよう・・・と某本に書いてあったけど・・・
それができる人は、そんな本は買わないんだけどね。とほほ
Hさん、大変お待たせしました。
ワイングラス完成です。
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