真面目な陶芸の話 3

ついでと言っては何ですが、真面目な?陶芸の話の続き。

陶芸を長年やってはきたんだけど、私はアホだからいまだに「用の美」ってよくわかりません。

それって・・・

考え方や嗜好の方向性を指している、ある種「政党」や「結社」もっと言うとプチ「宗教」のようにも個人的には思えてしまう。

厳しい戒律的なイメージも強いし、目に見えない縛りというか・・・

少しでもスタンドプレーをしたら最後、快感になるまで叱ってもらえる雰囲気であり、まるで今のご時世の中、マスクもせずに堂々と電車に乗っている時の周りの視線に似たものを・・・私は陶芸界に垣間見るのです。

雑誌等で「用の美」とか言う注釈のついた器の紹介記事や写真の場合、ほぼ似たような感じの器が紹介されていて・・・

作家別というよりは傾向別に作品が分類されているので、誰が作ったのか皆目見当がつかない作品が多く・・・

だから逆に言うと誰でも作れそうな色や形・・・今までよく見慣れた・・・いや、見せられてきた類の器たち。

「使いやすさ」を求めているのか?

「機能的故の美しさ」を見出そうとしているのか?

「デザイン的」なものなのか?

いや・・・そんな事は実は二の次、三の次であり一番大事なのは「目立つな!」って事なのだと・・・何となく感じ取ってしまう私なのでありました。

兎に角、料理がメインだから器は目立つな!脇役に徹しろ!自己主張するな!

しかしそれではあまりに可愛そうだ!・・・ってな事で・・・

ついにその器達にも光を、スポットライトを当ててやろう!

極端に言うと「肛門にも光を!」的な感じで脇役に徹した器に「用の美」という種目を新しく設け、その部門に金メダル!

よくご飯茶碗なんかを食事をする時の「道具」とか言ったりもするんだけど、この言葉使いにも私は前々から違和感を持っていて・・・

茶碗を作るためのコテとかなめし皮とかなら「道具」として理解できるんだけど・・

用いる事が道具の条件だとすると、服や靴も道具と分類せねばなるまい。

そもそも飯茶碗って道具売り場に売っていないし。

だから無理やり道具として認識した場合、使い勝手ていう言葉が次に出てきて、機能性っていうのが出てきて・・・

ある日ふとトンカチにスポットライトを当ててみたら「あれ?トンカチってよく見るとカッコ良いじゃん」ってことになり・・・

いや待てよ、次は釘にスポットを当ててみよう、次はノコギリにスポットを当ててみよう!

ってな感じでいくと、世の中にあるもの全てカッチョ良い訳なのよん。

って事になると、本来ならジャンル別に分ける事に意味がなくなって・・・

どれもそれはそれで価値があり、あえて「用の美」とか「民藝」とかって、言わなくたって済んでいく事なのに・・・なぜか「線引き」をしたがる傾向。

何処ぞの誰かが「用の美」などと小洒落た事を言うものだから、みんな勘違いして「器とはこうあるべき」と巷評論家がはびこる事になってしまったのではないかと!?

もうど〜でも良いやん!・・・センスのある料理人ならどんな器が出て来ようとうまく盛るよ。その時・・・一体、用の美って何???

アホな私はふとそのように考えてしまうのでありました。

今日の写真は本文とはまったく無関係の色実験の時の写真です。

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