昨日の続き

・・・って事で、昨日は何処にも行く予定が無いとかきましたが・・・

菰野町・パラミタミュージアムで開けれている「髙山光 陶彫展 ・髙山大 陶展」を見にいきました。

髙山光さんは主に狛犬の作品を、髙山大さんは籾殻を使った炭化焼成の作品を展示されていました。

それと同時にに開催されているパラミタ陶芸大賞展も見ました。

本当に私の勉強不足です。

出品者の方が6名おられるんだけど・・・まったく知らない作家ばかりでした。

陶芸大賞展にノミネートされるほどの作家ですから、私も知っていなければならないのでしょうけど・・・

価値観の多様化の波はこんな私のようなおじさんまでしっかり及んでおりまして、興味のある人物は陶芸家でなくても知識として知らないうちに私の頭に入ってきているのですが・・・・

ま、はっきり言って最近の若い作家達、そしてその表現方法に全くと言って興味が無いと言って過言ではありません。ど〜もすみません。

そして陶芸表現において私も含めて「行き詰まり感」と言うのが否めない感じでした。

陶芸や工芸の世界って美術の世界ではあるのですが、職人的な技術などに重点を置かれたり、伝統的な事に重きを置いたかと思えば、伝統をぶち破らねばと言ってみたり。

芸術ではなく、民芸だ、やれ純粋工芸だ、いや職人技だ・・・等々。

一体どっちやねん?時々本当にわけわかんなくなってしまうんです。

私的結論から言うと「好きにやればええやん!」の一言なんだけど、

当然ながら各自が好きな事やる場合、その人数分の価値基準が生まれてくる。

パラミタ陶芸展を見ている時にテレビ局の方からどれが好きですか?のインタビューを受けたんだけど、地味な作品ときらびやかな作品を天秤にかけて順位を決めるって言うのも・・・

きっと専門家だけの審査だとある意味で近視眼的な審査になってしまうから一般大衆がアンケートで投票した数によって順位を決めるという審査方法なんだけど・・・

これって良いのか悪いのか?ポピュリズムに寄りすぎているようないないような?

別に専門家の肩を持つわけではないけど、専門家でないと見ることができない部分って美術の場合かなりあるのも確か。

でもそれが故に木を見て森を見ずの結果も今までかなりの公募展で見てきた印象も拭えません。

すみません。よくわからんちんです。

芸術って審査の基準が審査員とか評論家の価値基準で決まるから、ある程度の技量や実力はもちろん必要だけど、その先は「運」によるものと断言できると思います。

うげげ・・・なんだか今日は小難しい風に書いてしまった。とほほ反省。

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