陶芸家の幸福論

いやはや・・「陶芸家の幸福論」とはかなり挑戦的なタイトルにしてしまった。

しかし、ここで今一度立ち止まり、「陶芸家」とは何なのか。そして陶芸活動を通しての幸福とは何なのか?を考えてみたい。

読んで字のごとく「陶芸家」とは陶芸を職業としている人の事で日々作品を作り、それを販売して生活していく人の事。または自分の持っている陶芸の知識や技術を人に教えたり、広めたりをしていく人を総称して陶芸家と言うのではないかと・・・私個人的にはそう思っています。

考えてみれば好きな陶芸をやりながらも生活していけるなんてかなり贅沢で幸せな事なのであります。結論から言うとそれが一番の陶芸家にとっては幸福なのではないでしょうか?

陶芸家として出発した頃は百貨店で個展を開く事こそが目標であり、一番の幸せなだと思っていまして、それには立派な陶歴が必要だからとガムシャラに公募展に出品していた時期もありました。

今思えば百貨店の個展も公募展への出品も大きな経験や思い出になっていますが、今はどうかと言われると昔のそれとは距離を置いてしまっています。

そして陶芸家として有名になるというのも陶芸家の幸福論の中に含まれるのかも知れませんが・・・私が歳をとったせいか?もしくは今更のあきらめ感のせいか・・・ま、どちらのせいでもあるとは思うのだけど・・・今は有名になるって事に若い頃ほど執着がありません。(もちろん有名になるにこした事はないと思いますが)

まあ、聞き様によっては陶芸家としての向上心や欲が無く、あきらめ感ややる気が無いように思われるかもしれませんが、ちょっとニュアンスが違います。

子供を育てあげていた時期、各種ローンの返済時期は鬼の形相で陶芸をやってました。

今だから言いますが、その頃作品作りもいかにお金を稼ぐか?の事ばかりで・・・少しでも売れるにはどうしたら良い?明日の生活どうしよう?

明けても暮れても明日の心配ばかり。(今でもそうだけど)

それが今、子供達は社会人になり、ローンは完済し・・・

今やっと、真の意味で自由に気軽に作品を作れているような気がします。

そして陶芸家として・・と言うよりも人間としての幸福論の方を最近は重要視していて、大変申し訳ないんだけど陶芸家の幸福論は人間の幸福論の中の一部と考えています。

無常な世の中・・・何一つ現状を維持できるものは無く、全てのものは音をたて、または静かに壊れていったり、死んでいったりする・・・

その事が当たり前なんだけど最近はその事がより強く感じられるようになったのは自分が歳を重ねたという事と知人がどんどん死んで行ったり病気になっていったりしているからかな?

「人生は楽しまなければいけないのだ!」と定義さえしてしまえば、人生は楽しくなるのだと思いますし、だから連日忘年会をしているのであります!(これは飲みすぎの言い訳か?)

つまり、人生も陶芸も「楽しむ」事が幸福につながるのだと。

アランの哲学をもじってみると、「幸せだから楽しむのではない、楽しむから幸せなのだ」という事かな!? あはは

さあ、今年もあと少しになってきました。

オヤジの戯言(たわごと)にお付き合いいただきありがとうございました!m(._.)m

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