ゴッホの絵とルノアールの絵・・・勝敗を決めるとしたらどちらを勝ちとしますか?
同じようにラスコーの古代人が書いた洞窟の中の絵とピカソの絵・・・どちらが勝者なのでしょう?
横山大観の富士山の絵とあなたお溺愛する 小さな娘さんが書いた富士山・・・どちらが勝者なのでしょう?
この場合、あなたは間違いなく娘さんが書いた絵を選ぶでしょうね。
所詮、美術なんてそんなものです。
十人十色の個人の感覚を基準に決められます。
では陶芸の公募展の場合はどうでしょう?
美術の神様がいて、優劣、勝敗を決めるのなら納得せざるを得ないのですが、所詮人間が決める事です。
裁判ですら一審と二審の判決が死刑と無罪となる場合があるんです。
なのに、入選、選外、入賞を価値観がバラバラな人間が決めるんですよ!
ある意味、恐ろしい事です。
・・・とは言え、公募展と銘打っている以上、入選、入賞を決めていただかなければいけません。
全員素晴らしいので全部入選!全部入賞!というのも、それはそれでどこか何かが違うような気もします。
ですからこの場合、作品が持っている真の芸術性は置いておかねばなりますまい。
ここでの審査の基準・・・それはずばり、いかに審査員の心を動かす事ができたか?いかに審査員に票を入れさせる事ができたか?が公募展の作品の勝敗基準なんです。
入賞できず・・いや、入選さえできず選外になった作品の中に美術の神様が一押しする作品があった事は、この世の中の公募展が行われた数だけきっと存在するでしょう。
・・・とは言え、公募展の審査員はその場では神様です。結果に不服があろうが反論があろうが決定は覆りません。
出品者はその結果を100%受け入れなければなりません。
しかし、ここで最も大事なのは、その結果は絶対的なモノではないという事です。
裁判長が変われば結果が変わるように、審査員が変われば結果は変わる。
入選できなかったから、今回の私の作品はダメで一番を取った作品が最優秀なのだと思い、下手に反省し自分の価値基準を揺るがし審査結果に迎合する事が一番マズイと思います。
「今回の審査員って見る目ないよな!」って軽く思っていれば良いんです。
落選しても、売れなくても、後ろ指差さされても良いのです。
一番やってはいけないのは、「媚びる」という事。
だけど・・・この「媚びる」というダークパワーは強力で、今でも私はそのパワーに引きずられそうになります。
(正直言うと、たまに半分ダースベーダーみたいになってます。とほほ)
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